アーティストとコンサートプロモーター 信頼関係によって生まれた復興支援
撮影:宇都宮輝
「プリプリの再結成は、本当に欲のない、美しいものだったと自信を持っていえる」(岸谷)
「無欲でやっていると、魔法のように会場も見つかるんですよ」(中西)
2011年3月11日、東日本大震災が発生してから、エンタテインメント業界では多くの人々が「被災地のために何ができるだろうか」と考え、迷い、それぞれが行動を起こしました。その中でもプリンセス プリンセスの再結成プロジェクトは、広く一般的にも話題になっただけではなく、具体的かつ大きな支援実績を残しました(4ページ参照)。また先日、第1次、2次に続く第3次支援が、来年3月にオープンする「チームスマイル・仙台PIT」建設資金の寄付に決まり、プリンセス プリンセスがこけら落とし公演を務めることを発表。2012年11月の仙台サンプラザホール公演から始まったプロジェクトのラストステージが決まりました。
このプロジェクトは「ライブのチケット代が復旧・復興支援のための義援金になる」形式だったこともあり、「アーティストとコンサートプロモーターが一緒に進めたプロジェクト」だったともいえます。アーティストとは、いうまでもなくプリンセス プリンセスの5人のメンバー。プロモーターとはディスクガレージの代表取締役である中西健夫ACPC会長。今号の連載対談では、メンバーを代表して岸谷香さんが登場。中西会長とこれまでの歩みを振り返り、岸谷さんにはライブ・エンタテインメント全般へのご意見も伺いました。
岸谷:震災直後、メンバーとメールでお互いの安否を確認し合いながら、「今、私にできることって、なんだろう」と考えているうちに、「もし、プリンセス プリンセスが再結成したら」というイメージが漠然とよぎったんです。私の中で「1人では絶対できないことが、再結成すればできるだろうな」という思いが生まれてしまった。最初は葛藤ですよね。「でも、無理だよ」と何度も考え直して……。
中西:あの時は皆、気持ちのほうが先走っていたところがありました。多くのミュージシャンも何をやるべきか、不安と迷いがあったと思います。
岸谷:最終的には「私が死んだ時にもし天国に行けても、入口で神様に怒られちゃうだろうな」と思ったんです。「お前は震災の時、本当はこれだけのことができると分かっていて、見て見ぬふりをしたな」と。でも、現実的に再結成をどう進めればいいのか分からない。今はメンバーが同じ事務所に所属しているわけではないし、プロジェクトを進めるための窓口とか、お金の管理とか、責任を持って進めてくれる存在が必要でした。それでまず中西さんに相談したんです。
中西:まぁ、保証人みたいな存在ですよね(笑)。
岸谷:私も自分が冷静に判断できているか自信がなかったし、中西さんが「いや、それは無理でしょう」というかもしれないし。内心はちょっと止めて欲しい気持ちもありつつ(笑)。でも実際には、中西さんがいきなりすごく盛り上がって。「僕もやる気が出てきた」「再結成のニュースが伝わった時点で、全国のプロモーターも励まされると思う」といってくれて。「もうこれは成功した!」くらいの勢いとオーラがありましたから。
中西:ただ、演奏から長く離れていたメンバーもいたし、本当に以前のようなレベルでバンドができるかという不安は正直ありました(笑)。
岸谷:そこは私が責任を持つしかないでしょう(笑)。あとは作品をリリースするための再結成ではなく、被災地でライブをやることと、他の地域でライブをやってできるだけ多くの義援金を集めることが目的だったので、中西さんのようなライブのプロフェッショナルがやっぱり必要だったと思います。プリプリとして現役で活動しているわけじゃないから、どれくらいの会場でやればいいのかも分からないし……とにかく16年振りなんですから。
中西:僕も悩みに悩んで、まずどれくらいの人が観たいと思っているのかデータを取ることから始めて、武道館を押さえて。その前にバンドとしてのリハビリも必要だというので、イベントを企画して、夏フェスに出てもらって。そこは緻密な計算をしました(笑)。
岸谷:それとメンバーもそうだし、中西さんもそうだし、プロジェクトを進める間、誰からも自分の利益を考えた発言が一切出なくて、グッとみんながまとまった。だからあの時の再結成は、本当に欲のない、美しいものだったと自信を持っていえるし、ああいうステージは経験したことがなかったですね。
中西:無欲でやっていると、魔法のように会場も見つかるんですよ。(追加公演の)東京ドームがクリスマスイブに空いているなんて、奇跡的ですよ。
岸谷:すべてがドラマチックでした。