
松本隆
PROFILE まつもと・たかし
1949年、東京生まれ。69年、細野晴臣、小坂忠らとともにエイプリル・フールの一員としてデビュー。続いて結成した、はっぴいえんどのアルバム『はっぴいえんど』(70年)、『風街ろまん』(71年)は、日本語のロックの先駆けとなり、屈指の名盤として知られる。解散後は73年のチューリップ「夏色のおもいで」、74年のアグネス・チャン「ポケットいっぱいの秘密」で本格的に作詞家としての活動を開始。以降、太田裕美「木綿のハンカチーフ」、大瀧詠一のアルバム『A LONG VACATION』、第23回日本レコード大賞を受賞した寺尾聰の「ルビーの指環」など数々の名曲を生み出す。松田聖子には、24曲連続オリコン1位を獲得したうちの17曲を提供。作詞活動45周年を迎えた2015年に「風街レジェンド 2015」のタイトルでライブを開催。作詞を手がけたアーティストが多く出演し、自身もはっぴいえんどのドラマーとしてステージに立つ。また、その活動が高く評価され2016年、第66回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2017年には全作詞を手がけたアルバム、クミコ『デラシネ』が第59回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。同年、秋の紫綬褒章を受章。2020年には作詞家生活50周年を迎え、50周年記念トリビュートアルバム『風街に連れてって!』(日本コロムビア/びいだまレコーズ)が発売。2021年、50周年記念事業の総決算として「松本隆作詞活動50周年記念コンサート 風街オデッセイ 2021」が11 月5日、6日の2日間、日本武道館で開催され大きな反響を呼ぶ。2024年4月よりTBSラジオにて初の冠番組『松本隆 風街ラヂオ』がスタート。
中西:そんな状況を受けて、まさに今、音楽業界全体でやろうとしていることがあるんです。文化庁にもご協力いただいて、日本レコード協会、日本音楽事業者協会、日本音楽制作者連盟、日本音楽出版社協会、そして我々コンサートプロモーターズ協会が一つにまとまって、アメリカのグラミー賞みたいなアワードをつくる話が進んでいます。文化庁が移転した京都を開催地として、日本発の音楽が世界で認められるために。僕は毎年グラミー賞の視察に行っているんですが、やっぱりすごいんですよ。アーティストを真摯にリスペクトしたり、チャリティも手がけたり。前回であれば、坂本龍一さんを追悼する映像が流れたり、ジョニ・ミッチェルも登場しました。ジョニ・ミッチェルは高齢ではあるので座りながら歌ったんですが、これがまた心に沁みるんですよ。僕、涙が止まりませんでした。ビリー・アイリッシュやビリー・ジョエルも出て、そんな中でテイラー・スウィフトなどの現代のビッグネームが受賞するわけですから、レジェンドから最新のアーティストまで、毎回これぞアメリカの音楽史といったラインアップが提示されるわけです。そういう場を日本でもつくって、未来の音楽業界につなげていきたいと思っているんです。
松本:本当にそういうことを考えないとダメですよ。子供達の世代にどうやって引き継ぐか、真剣に考えないと。
中西:僕は京都での開催にこだわっているんです。
松本:確かにせっかく文化庁を持ってきたわけだし、やっぱり京都には文化的なパワーがありますからね。
中西:平安神宮と岡崎公園にレッドカーペットを敷きたいんですよ。
松本:本当? 僕が一時期、住んでいたところですよ(笑)。とにかく日本は何もかも東京に集まりすぎているんです。それが文化的にも良くない。参勤交代で江戸にすべてのことを集約させていた時代から未だに変わっていないわけですから。東京に行かないとビジネスにならないわけです。僕はこの10年くらい京都や神戸に住んでいましたから、実感として分かります。