――2025年の大阪・関西万博の開催は、どんな影響を及ぼしそうでしょうか。
都倉:1964年の東京オリンピックと70年の大阪万博、この二段構えで日本は経済大国へとジャンプするエネルギーを得たわけです。歴史は繰り返されるんじゃないかという思いもありつつ、現在は大量生産・大量消費の時代ではありませんし、経済の高度成長は期待できないことは衆目の一致しているところです。では今後、日本が生きていく道は何か。または、本来の日本の姿とは何か。その答えは文化芸術立国なんです。これは今に始まった話ではなくて、文化芸術立国を標榜して久しいわけですが、うまくアピールできていたとは言えない。その一番の原因は何かというと、日本の長い歴史の中で培われてきた文化芸術の奥の深いもの、崇高なものに世界中が注目しているけれど、日本人自体がその素晴らしさをきちんと把握していなかったからじゃないでしょうか。それが情報化社会の時代になり、海外の方々が自然発生的に日本の中にある「本物」を見つけてくれるようになったわけです。
そんな中で大阪・関西万博をどう位置付けるのか、我々もよく考えるわけです。万博は、産業と科学技術の見本市だけでいいわけではなくて、大規模な文化イベントでもあるべきだと思います。岸田総理も日本博総合推進会議の席で「そこを文化庁主導でやってほしい」と発言してくださいましたし、僕は文化庁長官として、70年の万博が経済のカタパルト(発進装置)になったように、2025年の万博は文化芸術のカタパルトにするべきだと、そう思っているわけです。
中西:大阪・関西万博が日本文化をアピールできる場になれば、文化庁が京都に移転したことの意味もより深くなってくるわけですし、本当に素晴らしいことだと思います。僕は京都生まれで、70年の万博には6回行っているんです。当時はSNSがない時代ですから、世界中のものが一堂に会してリアルに見られるなんて、夢中になりましたね。今日はアメリカ館、今日はソビエト館みたいに、ワクワクしながら足を運びました。6回行ったうち、最初は友達と行って、次は親と一緒、おじいちゃん、おばあちゃんとも行ってというように、万博は3世代にまたがって楽しめるようなコンテンツが揃っていたと思います。世界的なイベントの場が、どこかで忘れられがちになってしまう絆を確認できる時間をつくったり、国境だけではなく、世代を超えて文化が継承されていくきっかけになるといいですよね。
都倉:これまでは文化芸術を産業化するノウハウが日本にはなかったわけですよ。伝統文化だけではなくて、新しいコンテンツの中にも魅力的なリソースがたくさんあるにもかかわらず、それを世界に売る術がなかった。中西さんとはよく話しているのですが、韓国のように文化芸術が基幹産業になっているかといえば、そうではない。これを文化庁が旗を振りながら、輸出産業にする、さらには日本の基幹産業にする。今でも日本は世界第3位の経済大国ですが、そのGDPの何%かを文化芸術が担うとなると、これは輸出産業にするしかないわけです。そういう気概を2025年の大阪・関西万博を起点に発信できるのであれば、これは国としてもやりがいのあることになります。
中西:韓国のBTSが生み出した経済効果は5千5百億円だそうですが、我々が持っているマーケット全体よりもはるかに大きいわけです。その成功をすごいと思うのと同時に、逆に言うと我々にも可能性があると考えたほうがいいでしょう。長官からのご指摘の通り、文化の枠組みだけで考えるのではなくて、輸出をするためにその文化をどのように世界へと届けるのか、当然経済的な発想も必要になってくると思います。