中西:僕もある程度の年齢になって、歴史に興味を持ち始めたのですが、日比谷公園の歴史を調べると驚きますよね。
湯川:素晴らしい歴史を持っているにもかかわらず、もったいないと思える面もあるんです。例えばニューヨークだったらセントラル・パーク、ロンドンだったらハイド・パークがあるじゃないですか。そういう意味で東京は日比谷公園なんですけど、ホームレスの方の救済や労働組合の集会ばかり有名になってしまって、それはそれで大事なことだとは理解していますが、音楽が聞こえてこないんです。東京から音楽を発信していくのなら、もっと日比谷公園が中心になってもいいんじゃないかと思いますね。
中西:普段は野音や公会堂周辺しか通らないですが、公園の裏側とかを歩くと発見が多いですよね。公園全体をうまく利用していく方法はまだまだありそうです。
湯川:そうなんですよ。実は私が日比谷公園の記念事業に関わって知ったのは、大切な記録が残されていないということだったんです。戦後に進駐軍がまだ残っていた時代に、松本楼の近くに日比谷インというナイトクラブがあったんですね。当初、一般の日本人は入れない場所だったんですが、米軍が使わなくなってからジャズクラブになった。2階に赤い絨毯の階段を上がっていくとフロアがあって、そこでピアニストの三保敬太郎さんや世良譲さんが素晴らしいライブをやっていらして、私の大好きな想い出の場所でした。でも誰もご存知なくて、そんな記録さえもちゃんと残されてないのが残念なんです。日本ではロックの時代になってからのライブハウスの記録ですら、ほとんど残ってないですから。
中西:おっしゃる通りです。
湯川:世界中の音楽業界が同じ問題を抱えていると思いますが、CDが売れない時代に入って、ライブが大きな力を持ってきたにもかかわらず、うまくリスナーに情報が届いていないというか。
フェスが盛んになったことに加えて、EDMが人気を呼んだことで、あちこちで1万人以上が集まるイベントが開かれているわけですよね。そういった「自分が好きな音楽を他にも聴いている人がこんなにいるんだ」と実感できる場がある一方で、小さなライブハウスもたくさんある。だとするならばライブハウス同士の横のつながりが生まれて、情報がもっと伝わりやすくなると、ご当地アイドルも含めて地方で活躍しているアーティストを育てていけるんじゃないかと思うんです。CDを売っていくことでは、もうアーティストは育てられなくなっているので、これからはまさにプロモーターの方々の力が重要になってくるはずです。
中西:ライブハウスコミッション(本誌VOL.30にて紹介)が立ち上がったことで、第一歩を踏み出すことにはなったと思いますが、湯川先生がおっしゃったような、リスナーを含めた横のネットワークを構築するにはまだ時間がかかるでしょうね。
湯川:今はSNSの時代ですから、地方のライブハウスとライブハウス、人と人をもっとうまくつなぐことができると思います。どこかのサイトを開けば、全国のライブハウスにつながって、自分が好きなバンドなりシンガーが、いつ、どこに出演しているかがすぐに分かるような。
中西:それに加えて、各地のライブハウスの歴史なども分かると、より面白くなるかもしれません。新幹線の車内誌の京都特集で、磔磔や拾得の歴史に触れた記事があって、興味深く読みました。僕も京都にいた当時、二つのライブハウスにはよく行っていたこともあって。歴史が積み重なって、今のライブハウスの個性ができているんだなと伝わってきました。