撮影: 宇都宮輝 撮影協力: code kurkku www.yoyogi-village.jp
「アーティストを育てるには、これからはまさにプロモーターの方々の力が重要です」(湯川)「ライブからスターが生まれるとするなら、ポイントは『声』だと思うんです」(中西)
ライブは「生もの」。実際に会場で体験した人でないと、その魅力を伝えることはできません。ライブ・エンタテインメントの歴史を語るにしても、ライブ体験をどれだけ積み重ねたかによって、言葉の説得力が大きく違ってきます。ポピュラー・ミュージックに触れるチャンスがジャズ喫茶など限られた場しかなかった時代から、ライブが音楽産業の中核に位置づけられるようになった現在に至るまで、会場へと足を運び、EDMや最新のアーティストの動向もチェックし続けている湯川れい子さんに、私達が学ぶべきことは多いはず。日本の音楽史を振り返るイベントをともにつくり上げたことから、深い交流が始まったという中西健夫ACPC会長が、湯川さんをゲストにお招きし、ご意見を伺う贅沢な時間を過ごしました。
湯川:中西さんには色々な形でお世話になっているんですが、私が日比谷野音90周年記念事業に関わった時(実行委員会委員長に就任)に、本当に大きな役割を担っていただいたんです。記念事業の一環として行われたイベントを担当してくださって、あの時は「こんな大変なことを、わざわざしてくださるなんて……」と感動しました。
中西:最終的に日本の音楽の歴史を振り返る一大イベント(2013年4月28日「日比谷野音空想旅団 ~そこに素晴らしき音楽があった~」)になりましたが、僕も企画を出したものの、あんなに大変なことになると思っていなかったんですよ(笑)。
湯川:小林武史さんと亀田誠治さんが企画から演奏まで全面的に参加してくださって、日本のライブの歴史を、戦前の黒船から始まってJ-POPにつながる壮大な再現イベントになりましたね。観ていて信じられないようなステージでした。
中西:歴史を振り返りながら演奏していくので、MCだけでも、どういう原稿にしようか考えて……小林さんや亀田さんは、一旦集中すると、こだわりがすごいですからね。まあ、100本分くらいのライブを一気にやった感じがしました(笑)。
湯川:本当に欲も得もなく、無料奉仕なのに全力投球で……通常のお仕事でもコンサートプロモーターはあそこまでやらないですよね。
中西:まあ、そうですね(笑)。企画・立案を含めてですから、ちょっと違います。プロデューサーにならなきゃいけないし、制作費のこともありますし。でも、あのイベントは、そもそも湯川先生が「野音の90周年にふさわしいライブをやりたい」とおっしゃったところから、すべてが始まっているわけですから。
湯川:100周年に向けた記念事業も、今度は亀田誠治さんが委員長になられて、これから進行するところなんですよね。日比谷公園全体を使って、東京から音楽を発信していけたら素晴らしいですね。それも中西さんあっての話だと思うので、改めてよろしくお願いいたします(笑)。