会報誌 ACPC naviライブ産業の動向と団体の活動をお伝えします。

ACPCは昨年、設立25周年を迎えました。今、ライブ・エンタテインメントの現場を支えている若いスタッフの年齢と同じくらいの歴史を持っていることは、団体の信用にもつながりますが、「ACPCの存在意義はどこにあるのか?」という原点が風化してしまう恐れも出てきます。そこで25周年特別企画として、これまでにACPCの会長を務めた経験がある宮垣睦男さん、永田友純さん、山崎芳人さんにお集まりいただき、団体の歴史を駆け足で振り返っていただきました。残念ながら故人となってしまった内野二朗さん、井上隆司さんの功績を讃える意味も込めて、鼎談は2時間に及びましたので、今回は「前編」とし、改めて「後編」をお届けしたいと思います。

設立〜社団法人化

宮垣睦男理事長(1988~1991年)
井上隆司理事長(1991~1994年)

(左)永田友純 株式会社ホットスタッフ・プロモーション代表取締役会長 兼 社長
(中央)宮垣睦男 株式会社デューク取締役会長
(右)山崎芳人 株式会社キョードー東京代表取締役社長
撮影:小嶋秀雄

宮垣:そもそも全国にいる同業者たちが、お互いの存在を意識するようになったのは、ACPCが任意団体として設立された1988年頃だったと思うんです。その少し前に、皆で集まってゴルフ大会をやろうと、EGA(イベンター・ゴルフ・アソシエーション)という集まりを始めたことが、一つのきっかけにはなっているでしょうね。

永田:それとサンデーフォークの井上(隆司)さんの意志の強さが原動力でしたよね。自分の仕事と同じくらいの比重を掛けて、全国のプロモーターを一つにしようと動き回っていました。

宮垣:井上君は、ゴルフをやらない人だったので、ゴルフ場には来ないけれど、その後の食事の時などには顔を出していました。ある時、彼が「実は皆に協力してもらいたいことがあるんだけど…」と話し出したのがJASRAC(日本音楽著作権協会)の問題だったんです。どういうことかというと、その後ACPCの会員になる会社は、シンガー・ソングライターのコンサートを中心にやっているところが多かったわけです。つまり、自分で詞も曲も書いて歌うアーティスト達ですが、我々がコンサートでの演奏権使用料を支払ったとしても、それがきちんと権利者であるアーティスト側に支払われているかが明確に示されていなかった。僕達はそれがどうしても納得いかなくて、全国でJASRACの支部と演奏権使用料の支払いを巡るトラブルが起きていました。演奏曲目を確認するために、コンサート会場にJASRACの人達が立ち入ろうとするのを、イベンターが阻止して押し問答になることも実際にあったんです。

永田:そして、何よりも一番切実な使用料の値上げの問題が出てきますよね。僕らは団体ではなかったのでJASRACから諮問もなかったんです。突然、「決まりました」という感じで。だからサンデーフォークは、こういった問題が起きていることを広くアピールするためにも、JASRACとの間で裁判にまでなったりしていましたが、サンデーだけではなく、全国共通の問題だったということですよね。

宮垣:まさにそうです。だったらまず勉強会を始めようということになり、プロダクションであるにもかかわらず、ゴルフに参加していたアミューズの大里(洋吉)さんが、同じ会社の著作権に詳しい山本(久)さんを紹介してくださって、演奏権使用料について色々と相談に乗ってもらったりしていたんです。そういった過程を経て、最終的に井上君が「団体を作って、皆でまとまって交渉しましょう」と提案したんだと思います。

永田:最初の会合は砂防会館でやりましたよね。この時はまだACPCという名称も決まっていなくて、参加会社の間の意思統一をはかっている段階でした。

宮垣:対JASRACということであれば、普段はそれぞれのテリトリーでライバル関係でもある各社がまとまる大義はあると、皆が理解していたんじゃないでしょうか。逆に全国のイベンターをまとめられないようだったら、JASRACも相手にしてくれないだろうという思いもありましたし。

永田:そこから本格的に組織作りが始まりました。

宮垣:全国のイベンターは当時、ユイ音楽工房やヤングジャパンなど、お付き合いの深いプロダクションがそれぞれ分かれていましたが、そういった垣根を越えてオールジャパンの組織を目指すことが大事だと思っていました。そして、皆で手分けして会員社を決めていく過程で、たまたま僕が年長ということもあってリーダーの役割をすることになり、任意団体としてACPCが設立されたんです。

永田:その後、設立から2年、90年には社団法人になったわけですから、団体の形が整うのは早かったといえるでしょう。当時、 1週間に2回は通商産業省(現・経済産業省)に通って、担当部局と社団化の準備会議を開いていました。井上さんは名古屋から毎回顔を出し、どういう団体にしたいのかを担当者に熱く語っていました。あの光景は今でも忘れられません。

宮垣:任意団体の頃から、井上君は「なるべく早く社団法人にならないと、JASRACとの交渉も先に進まない」と話していましたね。設立メンバーは当初から社団法人化を意識していました。

永田:それと何より当時、通産省の課長補佐だった平田竹男さんのご尽力のお陰です。渡辺音楽出版の渡邊美佐さん、シンコー・ミュージックの草野昌一さん、フジパシフィック音楽出版の朝妻一郎さん、ユイ音楽工房の後藤由多加さんなど、業界の先輩方にご協力いただけたことも大きかったと思います。

「垣根を越えてオールジャパンの組織を目指すことが大事だと思っていました」

宮垣睦男

1947年生まれ。1988〜91年まで理事長を務める。
現在はACPCアドバイザリーボードのメンバー


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