会報誌 ACPC naviライブ産業の動向と団体の活動をお伝えします。

チケット1枚の重さが原点。 自分達でコンセプトを練って、 一から考えるコンサートを。

―ACPC設立の経緯と、設立前夜のコンサート業界についてお聞かせください。

永田:日本のニューミュージックとともに誕生した全国各地のプロモーターと、キョードー東京さんを中心として、当時「呼び屋」と呼ばれていた外国のアーティストを招聘する会社と分かれていた時代でしたね。
そういう混沌とした時代ではあったんですけれども、その当時の団体としては、キョードー東京とウドー音楽事務所、東京音響、労音、梶本音楽事務所など、呼び屋の皆さんが中心になっていたJCPAが、唯一のコンサートプロモーターの団体だったんです。
そんな中でJASRACの演奏権料の値上げという話(1983年)が持ち上がったのですが、JASRACが交渉する団体としてはJCPAしかなかった。そこから全国のプロモーターがまとまって、我々も団体をつくったほうがいいんじゃないかとなったんです。JCPAにも相談して、一緒にぜひ団体をつくりたいという話になり、そこからACPCがスタートしました。サンデーフォークプロモーションの井上(隆司)さんが旗振り役になり、第1期の理事長をデュークの宮垣(睦男)さんにお願いして、色々なことが大きく動いていきました。

―1988年に設立されたACPCは約2年後の90年に社団法人になります。

永田:やはり社団法人という形をとらないと、様々な交渉事がテーブルの上に乗らないという背景があったんですね。当時、すでに社団法人化していた音事協(日本音楽事業者協会)が通商産業省の管轄、音制連(日本音楽制作者連盟)は文部科学省だったので、二つの選択肢があったんですが、通商産業省には平田竹男さん(現・内閣官房東京オリンピック・パラリンピック推進本部長事務局長など)という課長補佐がいらして、非常に理解のある方だったので、そこから所轄団体を通商産業省に決めて、今に至るわけです。
それと社団法人化への過程では、音制連の後藤豊さんを中心に、MPA(日本音楽出版社協会)の渡邊美佐さん、朝妻一郎さん、さらにはもちろん音事協の堀威夫さんのお力もお借りできたことが本当に大きかったんです。各団体の長の皆さんからバックアップしていただきましたね。また、こういった方々への窓口の役割を果たしてくださった内野二朗さんがACPCにいてくださったことも、我々にとって大変心強かったですね。

―永田さんが会長を務めていた時代には、念願のJASRACとの団体協定が締結されます。

永田:僕の前に内野さんが会長に務めていた時代(1995〜2001年)からJASRACとの長い交渉の経緯があり、退任される直前には締結までほぼこぎつけていたんです。交渉の段階で、一番大事だったのは演奏権使用料未払いと未申請の問題。その当時は未払いが非常に多かったんですね。ACPCが団体として、そういった会社に1社1社当たっていって、間に入って解決をしていったという背景があります。まず未申請・未払いをゼロにするというところから始まったんですよ。

―ACPCが取り組んできた事業の一つに、各大学・専門学校での寄附講座もあります。

永田:専門学校へのカリキュラム提供から入れると20年、大学への寄附講座では12年続けていることになります。ライブ・エンタテインメントの仕事というのはちょっと外から見るとわかりにくいところがありますので、そこを幅広い職種の講師の方々から学生への目線で、わかりやすく説明していただくことをメインにしています。学生の皆さんに我々の業界に興味を持ってもらい、コンサート会場のアルバイトを含めて、それが人材の発掘につながればと思っています。

―団体設立当時と現在のライブ・エンタテインメントを比較して、改めて思うところはありますでしょうか。

永田:今のようにライブ・エンタテインメントが本数も多くなって、大きな産業になるとは誰も思っていなかったかもしれませんが、これだけの規模になった以上、我々にも大きな責任が出てくるでしょうし、コンサート会場でのお客さんの安全の問題はじめ、ライブ周辺の環境づくりについても、プロモーターの役割がかなりのウエイトを占めることになってくるんじゃないかと思います。

―全国各地でフェスも盛んになりました。

永田:フェスが数多く開催されるようになってから、各地のプロモーターの新人スタッフの活性化にもなっていると思いますね。これまでコンサートの企画は、アーティストサイドがやりたいものを実現するところからスタートしていましたので、自分達でコンセプトを練って、ブッキングもして、一から考えることが身についてきたのは大きな進歩です。チケット代を決めることから経費のことまで、すべて自分で考えなきゃいけないわけですから、ビジネスを進める上で非常に役に立っていると思います。フェスはアーティストの育成にも当然つながっていると思いますが、スタッフの成長も促しますよね。

―ライブ・エンタテインメントが進化するほど、プロモーターにとって忘れてはいけない原点があるとするなら、どんなことでしょう。

永田:各社によって違うとは思うんですけれども、やはりお客さんに対して自信と責任を持ってレコメンドできるアーティストのライブを提供するのが、コンサートプロモーターにとって原点なんじゃないでしょうか。それを含めて、チケット1枚の重さというものをちゃんと考えていかないと。インターネットが普及してから、ものすごい勢いで環境が変わってきていますが、僕達のビジネスは自分達でチケット1枚1枚にハンコを押すことから始まっていますからね。どんなに時代が変わっても、原点はそこだと思っています。


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